NISAの日の前にいくら貯めればFIRE出来得るのか試算してみた(単身男性編)

FIRE



 



■はじめに


明日2月13日は、NISAの日ですって、どうでもいいですね。

www.mbs.jp


そんなこんなで新NISAで資産運用をやっている人もやっていない人もいかがお過ごしでしょうか。
私は前者の資産運用をやっている人ですが、その行動原理はひたすら
働きたくないでござる、なのです。
そこで目指す世界のFIREに憧れたりしますが、実際いくらまで貯めればそれが現実的になるのか疑問に思ったのが、このエントリを書くきっかけでした。
1億あれば、億り人コースでFIREできるって話を聞いたり聞かなかったり。
仮に3~4%の利回りで資産運用できれば、そこから2割引かれるとみても240~320万の手取りになって、3%240万でも月20万だ。
各種固定費をざっくり見積もって10万とみても残り10万で、贅沢をしない限りは運用益だけでもなんとかなりそう、な気がする。
問題はその1億ってのがまぁ現実的ではないわけで。

news.yahoo.co.jp


こんな記事もあるけどこれは4人家族の想定で、(これまでもこれからも)単身男性想定で見ればハードルはぐっと下がるのではないか?
そこで、かなり単純化した計算においておおよそ幾らの資産を築けばFIREが成立しうる可能性があるのか、を考察したい。
かなり穴だらけの計算ではあるけど、億までのターゲットに比べればまだ目指すこともできなくはない数字を見ることができ、今後の資産運用のゴール感を現実的に見ることができるのではないかと思って試算してみた。資産だけに。
実際に試算通りにうまくいくかは分からないけど、現実的なFIRE目標があればそこまで頑張れるし、仮にそこに到達できればいつでもFIRE出来ると思いつつ生きることができるのは大きい、かもしれない。

■資産試算サマリと結論らしきもの


穴だらけの試算の詳細は後述の内容を参照してもらうとして、試算のサマリは以下の通り。

・2500万程あれば、爪に火を灯しながらも生きていけるはず
・3500万程あれば、ある程度節約しながらも多分生きていけると思われる
・7,500万程あれば、単身である程度の生活水準を保ちつつFIREできるのでは

億り人に比べればかなり目指せなくはない数字にはなった。最低限で言えば新NISAの枠1800万+700万程度であるし、この1800万の枠から資産運用益を得るとするならばその益の2割をお上に報じる必要がなくなるので、これより少ない額でもFIRE出来るかもしれない。
ということで、爪に火を灯しながらも生きるにもそこそこ必要だけど、まぁまぁ現実的な貯蓄目標かなとは思えるようになった。これらの閾値を念頭にNISAの日を迎えることができそうな気がしてきた、という結論でした。
こちらからは以上です。

以下は、蛇足の試算詳細です。

■前提

色々前提を考えてから試算をしたので、意味がなくなったものも出て来たけど、以下の前提で考えた。
1)単身世帯の65歳時点の年金受給までをいったんのゴールとする
2)単純化のため年金(月額 16,520 円)は払い続けることとする
3)健康保険は減免7割前提でザクっと1800円/ 月支払いとし、年金と合わせて2万/月とみる(市区町村によって約4~7万/月とのことでMAXの7万の7割減で、21,000/12≒1,800円/と考える。)
4)以下のX、Yを維持できるために必要な資産額を計算(って書いたけどめんどくさくなったのでaだけで単純化して考えた。)
  (a)ゴールまでに資産運用収入/月=X
  (b)ゴール時点で(年金満額の6万4816円+資産運用収入)/月=Y
※厚生年金受給分があれば、期間に応じて年金分は増えるだろうがリスク費として無視
5)物価上昇は一律2%/年を見込むが、単純化のため資産運用による母体の資産価値上昇分で何とか賄えることとする。(運用資産によるが、仮に日本株で見るなら日本の物価が上昇すればそこに連動する資産価値自体も上昇する、という安易な想定。)
6)退職後の翌年は各種免除+失業手当(場合によっては延長手段を使う)でプラマイゼロとする(あるいはゼロ以上になるよう調整する。引っ越し費用や観光構築費なども賄う)
7)家賃以外の固定費はざっくり2万円/月とする。
※電気ガス上下水道は12,000円/月

www.tepco.co.jp※通信費はざっくり8,000円/月

www.uqwimax.jp⇒ここまでで、選択に関わらず毎月必要な固定費はざっくり4万/月とみる。


■残る費用の計算

毎月必要な固定費に加えて月に必要な費用をざっくりと試算する。

1)家賃(管理費含む)
家賃を限りなく抑えるので有名なのは、大分県杵築市あたり。

https://www.athome.co.jp/chintai/theme/yachin_level_10000/oita/list/
1万円以下の物件がそこそこあるけど、プロパンしかないので少し光熱費が加算されるのと、周辺までの移動のための足代諸々で1万は載せる必要(杵築市以外の1万以下の物件にも同様の問題)があるとみて、下限を2万と設定。
場所によりけりではあるが、都会でなければ家賃は5万位見ればそこそこな物件はある感覚。
管理費を付けても5.5万位か。
引きこもる前提であればそこそこな物件に住みたいと思うが、ここは変数として管理する。α1:家賃(2~5.5万)

2)食費
どこまで豊かさ・健康を求めるかで大きく変動するが、基本的には自炊を前提とする。倹約の幅で大きく変わりそうだが、これも1日の食費を300~1,000円の変動として30日分を月費用としてみる。α2:食費(0.9~3万)

3)娯楽費
今の時代、極めれば0円でも色々楽しめるが、人としてどこまで文化のために払えるか、あるいは食費の追加楽しみとしての娯楽を考えて、上限を試算する。例えば各種サブスクをMAX1万、外食をMAX2万、他をMAX1万とざっくり見る。α3:娯楽費(0~5万)

4)交際費
娯楽費に含めるかは微妙だが、これも全断ち~そこそこまで想定する。そこそこの上限として、家族、友人交流を想定。住む場所によりけりで交通費も入ってきて複雑化するので、全断ちではない場合の前提として、交通費は無視できる範囲の住居に住むこととする。1回の晩飯会を5000円×4を上限として2万とする。α4:交際費(0~2万)

5)その他リスク費
持病があったりできたりで医療費が発生したり、生活家電や身の回りの物が壊れたり、衣服の買い替え、雑貨等諸々でその他支出が追加されることを想定。これはどこまで積めば良いかもわからないので、割合で考える。総額の1~3割位をリスク費として拠出することにする。β1:リスク費(1.1~1.3)

■月の費用の計算


上記の選択に関わらず毎月必要な固定費4万に「残る費用の計算」を足し合わせた計算式を作ってみるとこのようになる。

4万+(α1:家賃(2~5.5万)+α2:食費(0.9~3万)+α3:娯楽費(0~5万)+α4:交際費(0~2万))×β1:リスク費(1.1~1.3)

これから、極端な最低と最高、後は中庸の案を出してみる。
パターン1(最低の支出):7.19万
パターン2(最高の支出):24.15万
パターン3(中庸の支出):10.8万
かなりざっくりの計算ではあるが、かなり切りつめても月に7万以上は必要で、そこそこ充実して生きるには前述の1億を3%で運用したときの運用益だけでは足が出ることが分かる。中庸と言いつつ、かなり適当な計算でも11万程は月に必要、となる。

■月額費用計算内訳

月額費用計算の内訳は以下の通り。最低と最高で極端であるし、中庸は悪い意味での適当極まりないが、目安として以下の通りとなった。

パターン1(最低の支出):7.19万
4万+(α1:家賃(2万)+α2:食費(0.9万)+α3:娯楽費(0万)+α4:交際費(0万))×β1:リスク費(1.1)=7.19万

パターン2(最高の支出):24.15万
4万+(α1:家賃(5.5万)+α2:食費(3万)+α3:娯楽費(5万)+α4:交際費(2万))×β1:リスク費(1.3)=24.15万

パターン3(中庸の支出):10.8万
4万+(α1:家賃(4万)+α2:食費(2万)+α3:娯楽費(2万)+α4:交際費(1万))×β1:リスク費(1.2)=10.8万



■各パターンで必要な経費(年額)

月額で必要な経費を1万単位で切り上げして、1年にならすと以下となる。
パターン1(最低の支出):7.19万≒8万×12=96万
パターン2(最高の支出):24.15万≒25万×12=300万
パターン3(中庸の支出):10.8万≒11万×12=132万

■必要な経費からいくら資産が必要?運用益だけで見る場合


この場合、年金ゴールを意識することなく、年運用益想定単独で必要な資産を見ることができる。(引退時期による分岐計算が面倒になっただけ。)
時期を見て資産本体を切り崩してもよいと考えて(切り崩しも運用益に含めるとして)運用益想定を3~6%の幅で見てみる。
(3%はかなり安全サイド、6%は引退時期(ゴールまでの残り期間)によるが、期間が長いとちょっと無理目な数値かもしれない。)
パターン1(最低の支出)96万  :3% 3,200万,4% 2,400万 ,5% 1,920万 ,6% 16,00万
パターン2(最高の支出)300万:3% 1億,4% 7,500万 ,5% 6,000万 ,6% 5,000万
パターン3(中庸の支出)132万:3% 4,400万,4% 3,300万 ,5% 2,640万 ,6% 22,00万

と、忘れてはいけないのはお上への年貢2割徴収があるので、これらを0.8で割ると

パターン1(最低の支出)96万  :3% 4,000万,4% 3,000万 ,5% 2,400万 ,6% 2,000万
パターン2(最高の支出)300万:3% 1.25億,4% 9,500万 ,5% 7,500万 ,6% 6,250万
パターン3(中庸の支出)132万:3% 5,500万,4% 4,125万 ,5% 3,300万 ,6% 2,750万

となる。(このうちの1800万を新NISAで賄えばお上への上納は不要にはなる。)


試算切り崩しもできるということを考慮すれば、(65歳までの期間がどの程度かにも左右されるが、)5%位の運用益で試算してもざっくり何とかなるのではないかと思う。
そこから見れば、(500万単位で四捨五入して)
・2,500万程あれば、爪に火を灯しながらも生きていけるはず
・3,500万程あれば、ある程度節約しながらも多分生きていけると思われる
・7,500万程あれば、単身である程度の生活水準を保ちつつFIREできるのでは

という計算になった。爪に火を灯しながらも生きるにもそこそこ必要だけど、まぁまぁ現実的な貯蓄目標かなとは思えるようになった。
さらに固定費を減らすには、小屋を作って暮らす
(高村友也さんの生活の様な。。。)

 linktr.ee

 

とか、100~500万位の住居を買うという選択もありそうだけど、色々考慮する事項がありそうなので割愛する。ただ、さらに2500万円よりもFIRE目標を下げる余地はありそうだ、という見方ができる。
特に前者の「小屋を作って暮らす」では高村さんの書籍中に積み上げる資産の表が出ていたけど、2500万よりかなり少なく出ていたと記憶しているし、そうであろう。著者は一度小屋生活から賃貸住宅に移ったみたいだけど、今は小屋生活をしている様だ。ということで、ここまで振り切ればかなり低い資産でほぼほぼFIREができるかもしれない。

■3~4%の資産運用をどう考えるか


この辺りで行けんじゃね?と勝手に妄想している。(すでに疲れてきたので適当感が半端ない。)

finance.yahoo.co.jp

 

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俺とお前とインターネット

「あの時は世界に大きな広がりを感じたんです。
 それこそ、無限に広がって幾ばくかの可能性も”夢じゃない”ってそう思ったんです。」
と、当時を振り返る私の中の記憶が語り出す。
おおよそ中学生時代にWindows95のニュースを知り、
これからはパソコンとインターネットだという無根拠な思いから、理系、工学系に進み今はしがない名ばかりシステムエンジニアなんてものをしている。
「これからは」の大枠は間違っていなかった。
今はもうプログラムをほとんど書かないし、調整調整の政治家になってしまったけど
それでも時折、空き時間にVBAだのshellだのでルーチン業務をプログラム化して楽しんでいる。
PythonだのGoだのは知ってはいるが、調べないと読むこともちょっとしんどい化石人材だ。
中学のその頃は「”ホームページ”なんて何が面白いのツマンネー」という言説があふれており
何かの機会で見て、来て、さわった富士通おじさんの自身もそう思った。
よくあることで同じく「twitterなんて何が面白いの?あんなに短くてはなんも言えねぇ」なんて言われていたので
インターネット・ミームの初期症状なんでしょう。
トラックバックについては「ゴッゴル」とか「デースケドガー」で盛り上がらせようとしたけど
「スパムだらけで死ぬ」という言説の通り死に体だ。
そういうことで、ただ死屍累々の中で生き残った現在を観測して勝手にそう思っているんだろう。

俺とお前とインターネットに戻ろう。

諸君 私は2000年前半のインターネットが好きだ
諸君 私は2000年前半のインターネットが好きだ
諸君 私は2000年前半のインターネットが大好きだ
好きが高じてこんなのも書いたら、思ったより反響があってうれしかった。
https://anond.hatelabo.jp/20210222005750

冒頭の記憶からの言葉はここに繋がる。
90年代後半の23時テレホマンから駆け抜け、
繋ぎホーダイのケーブルTVの人をうらやましく思いながら、
YahooBBの配りまくりADSLに2000年ごろから乗り、そこから私の好きな時代が始まったように思う。
常時繋がって、今ではスマホの制限モードの8MBpsを神だと崇めていた、そんな時代だ。
その頃には「〇〇のほーむぺーじ」の時代から少し抜け出して、SNS的な繋がりが出来上がりつつあった。
私をインターネット初老とするなら長老とかは「草の根BBSとかあったんですけど、正に草w」とか言われてしまいそうだが
私としては、その認識だった。
当時は、浦沢直樹先生のMONSTERにはまっており、BBSで次の展開を妄想合戦をしつつ、チャットで盛り上がったりした。
関西在住であったので、時折東京で開催される「おふかい」なんてものに憧れを抱いたものだ。
そのMONSTERが最後ああなるとは…。とは思いつつ、最終回直前まで楽しませていただいたので、浦沢先生には感謝しかない。
ゴルゴ13も好きでネットを調べると「最終回は決まっていて、既にさいとうたかを管理の金庫にその原稿を入れている」
とか、私の知的好奇心を満たすには十二分にインターネット世界は広がっていた。
そして、これもまたかと言われる話だが、検索で2chの存在を知り、その玉石混交を楽しんだ。
バスジャック事件という有名なものから、ヤフオク著作権違反の出品をした出品者を追い込むまぁ今考えれば糞で矮小なものまでいろいろ楽しんだ。
一番はしゃいだ記憶はあの夏の日、2chの転送量問題で閉鎖騒動が起きた時だ。
https://sfcclip.net/2001/09/4569/
こんな感じの話で、リアルプロジェクトXを見ている様で感動し、
ガヤ的なコメントしかできなかったけどそこに参加できている自分に感動していた。

この頃から、インターネットに漬かりまくり、ネトゲ、所謂リネージュとかいうのにもはまって、ランメタ探しをしたものだ。
金のない自分には、無料期間以後の課金に踏み切ることができず、そのまま退場した。
結果としてはそれで良かった。
リネージュの世界に旅立ったまま、留年、退学したあの同級生はどうしているだろうか。
ケチケチとブラウザゲームとかする中で、マイナーなアッピーオンラインというネトゲに手を出していた。
確か、少年ジャンプの裏表紙に広告があり、そこから入ったように記憶している。
ベルトとナット、ささよろ、結婚、職人、ペットシステムなんて当時の自分にはそれでもそこそこはまった。
しかしもうこれも今や見る影も無いのはネットの罪だよなぁと。
そのアッピーオンラインに冷めたのも、ネトゲで付きものの争いごとを目にし、
怒っていた同じクランの人が「俺は柔道家の〇〇と同級生なんだ!あいつ!!!」などと
何の意味のもない自慢とも誇示とも取れる姿をみて一気に現実に戻ることができた。

それから数年ほどして「インターネット孫ニュースサイト」というものに手を染めた。
初めは流行に載って、日記としてblogに書いていただけなのだけで、一日数アクセスあれば良い程度の趣味でやっていた。
とある漫画に対するニュースにコメントを付けると、大手孫ニューサイトに取り上げられて
そこから一日数百アクセスを受け、脳汁の間欠泉が観測された。
徐々に大手サイトを「オートアンカー」というツールを使って紹介するようになった。
なお、「オートアンカー」とは「面白サイト(引用元サイト)」なんて形で紹介するHTMLタグを右クリックで作ることが
できる便利ツールだ。
孫ニュースサイトをこれから始める諸君は、この辺りを有効活用してほしい。
孫ニュースサイトには上記のツールの通り、「引用元」を紹介するという文化があった。
そのおかげもあって、孫ニュースサイトとしては一日に数百アクセスは取れるようになった。
(そして、孫ニュースサイトがアクセスのフリーライダーと言われ、「孫ニュースサイト論」なんてのが盛り上がっていたけど割愛。)
そして、孫ニュースサイトをやりつつ、時折元々の日記的なものから発展して雑学的なネタを自己で紹介することで
その孫ニュースサイト連盟のアクセスを受け日に万を超すアクセスが出てきた。
その一番の要因は、当時はサイト運営者なら知らないものはいない動ナビ砲というものだ。
結局はエロ、エロこそ正義。
それを浴びてからは、なれ合いをよしとせず淡々とやっていたのもつかの間
大手サイトさんのWebラジオに出たり、コメントでゆるいなれ合いをすることで引用元サイトとして採用してもらいやすくなるなど
結果としてあの時の自分はアクセスに飢えていた。

また、並行して2chの「おふかい」などというものにも参加していた。
そのオフ会では、比率が少ないながらも女性がおり男子校的な工学系の大学に進んだ自分としては
そこでの出会いを期待したが、結果には至らなかった。
まぁそれでもキャバ嬢の人とボウリングをしてハイタッチとか、下ネタ満載の話をする美人のおねーさんとかと
お話をできたり、
mixiはハンドルネーム固定、2chは匿名、いわばこれは闘争だ!」
とか言う香ばしいおにーさんのお話を聞けたのは良い思い出だ。
このオフがきっかけで2ch上で「結婚します」なんて言っていたコテハンの人もいた。
真偽は不明だし、スルーされていたけど、やはりその手のものに憧れていたけど
なんの成果も!!得られませんでした!!

そんなこんなで2000年後半に至ると研究や就職活動で忙しくなり
その孫ニュースサイトも放置、2chもそこそこになっていたけど
就職ランキングなんてのを見ていた。
正しくはないけど、大きく間違ってはいなかった。
特にブラックはその通りだった。
アレには感謝している。
そこから就職し、今に至る十数年はゆるくネットとつながっている。
mixiとかFacebookあるにはあったけど、ちょびっツ程度しか。。
あと、はてブも数年前に★取りゲームとして少しの間嵌ったか。
結局、自分のリソースをかけられた時期であるのが2000年代前半と中盤ちょっとってのがその思いの答えなんだけど
あの頃は、まだ未成熟な世界に可能性を感じていた。
自信が未熟なこともあり、夢が広がりんぐだったというこれも今や親父ワード。
今やひろゆき氏が若者の間で論客として扱われている姿も
当時の2ch菅直人として時折出没していたところを重ねながらもほろ苦い気持ちで眺めている。
そういえば2chのメルマガってのがあって、「ファミコン店員さんのつぶやき」みたいなスレを紹介してもらって
ほのぼの眺めていた。

あの頃に比べてネットの世界は広がり、可能性は高まり、距離も縮まり、速度もダンチで上がったし、現実世界に対する影響力は桁違いだ。
昨今のオリパラ騒動もこの状況があってのことだろう。
そんな世界の中で2000年代前半を懐かしむのは
自分はそこに当事者ではなく、片足を突っ込んだだけのほぼ傍観者になっているんだけなんだな、という変わらない結論。
ただこれだけは言える、あの時に私の青春があったんだと。
当時からの一人称も俺、僕、私に遷移する中で、ネットを眺めている。

俺から始まったインターネットはいつの間にかお前になり、
お前となってしまった私は
「ついていけるだろうか”俺”のいないインターネット世界のスピードに」
と、思うのだ。

⊂二二二( ^ω^)二⊃
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」